出産祝いに既製品を贈るのをやめたい
幼なじみが出産したので、赤ちゃんに会いにいく予定が立った。
「赤ちゃんに会いにいく」
自分の人生の中では、群をぬいてトップに入る、幸福なイベントのひとつである。
別になにかを贈らないといけないなんていう決まりもないのだけれど、本当は会いにいくこと、愛を伝えること、継続的に愛を注ぐことを約束することだけで十分なのだけど、やっぱりなにか贈りたい。
可愛いから、なにか贈りたいのである。
デパートに行きさえすれば、素敵でそれらしいものは何でも手に入る。お金さえ払えばなんでも手に入る。だけどそういうものは、なにかが違う気がしている。
もっと、「あなたが生まれてきて嬉しい」、このオリジナルなわたしの気持ちがのるものを、自分の手でつくりだしたい。流行りを読んで、大勢で構成された工場が、一部一部のプロセスを請け負って、作った大量の、いい感じに見えるなにかのひとつを贈りたいんじゃない。
そうじゃないものを贈りたいのである。
時間をかけて、わたしの愛と意気込みを赤ん坊に伝えたいのである。怖い。
じゃあ、なにを贈る?
今回は、小さな手書きの絵本をつくってみることにした。
わたしの幼なじみ、つまり赤ん坊の彼の母の人生から、彼が生まれるところまでを絵で再現してみることにした。これだと1日くらいのプロジェクトになり、たいへん手軽である。
使用したのは、無印良品で購入した画用紙絵本。290円。
コピックライナーと色鉛筆を使い、誕生までのプロセスを再現。
家族と遊園地に行った日に、遊具で遊んでいる家族を待つ間などに、ちょこちょことプロジェクトを進めていく。帆布のバッグに色鉛筆やそれを削るカッターなどを持ち歩き、ちょこちょこと描き入れていく。

幼なじみはとっても素敵な人で、やっぱり幼いころから彼女を見てきた分、素敵なところをいっぱい知っている。
旦那さんの知らない、また言わなければ赤ちゃんにもわからない場面をわたしはいっぱい知っている。
そこの情報の差分をこの絵本で埋められたらよいと思い、わたしが見てきた彼女をたくさん描きこむ。

お友達になった瞬間や、学生時代のこと。

私からみると彼女のやっているお店は、都会の冷たい海の中にひとつだけ浮かぶあたたかく明るい島のようだったということ。

彼女がとてもまぶしく見えていたということ。

旦那さんとの出会いなんかも描き入れ、最後に赤ちゃん爆誕だよーん。
お祝儀の額のあたらしい目安
知り合いに赤ちゃんが生まれたとき、わたしはいつも、今手元にあるお金のうち、だいたい何割を赤ちゃんにあげても生活できるかなぁということを基準にして、額を決める。
赤ちゃんが生まれたというのは、この上もなく、素晴らしいことだ。できるなら全財産を渡してしまいたいほどに素晴らしいことだけれど、こちらにも生活がある。
だから、ほどよいころ合いを探って「今ならこれだけ渡しても生活は問題なくまわりそう」、この感覚を基準にしている。
フリーランサーなので、包める金額は、タイミングにより上下する。今回はそこそこ潤っていたので今まででいちばん多く包めたけれど、来月には状況が変わるかもしれない。
相場なんか気にせず、各自が出したいだけ、出すべきだ。お祝い事なのだから。とても嬉しいことなのだから。新しい命が生まれたのだから!
(ちなみにわたしはお祝い返しと言う習慣が好きではないため、一律お祝い返しをお断りしている。友人たちは、わたしになにか返すことを諦めている。)

お祝儀袋らしきものも手づくり。コピー用紙にお札をつつんで、スケッチ帳をやぶいて、のしを作った。わたしは田舎者なので、堂々と様式を省く。とても楽しい。このプロセスも赤ちゃんがくれたのね。
おもたせは、どら焼き。
幼なじみはたしかどら焼きが好きだった。どら焼きには不動の庶民感があり、肩ひじはらずに誰でも受け入れてくれるようなそんな安心感がある。おもたせにいい気がしたので、浅草の亀十に並んだ。

手作りづくしのお祝いの結果
大成功でした。
とくに絵本は「世界にひとつだけの宝物だ。」と言って、ご夫婦は喜んでくれました。赤ちゃんはただミルクを飲んでいました。
この子の成長をいっしょに見ていきたいな。絵本の続きも描きたいな。
絵本づくりは、凝りさえしなければ、プロジェクトとして1日で終わるような気軽な試み。そしてこういうプロジェクトを絶やさないことが、簡単には、死にたくならない秘訣。
やってみてポー。